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春節:帰省に思う「家」の意義


2012年1月20日付け、人民日報

帰省ラッシュ

帰省して年越しする。これはただ親族を訪ね、故郷を懐かしむ行為だけではない。深層的な集団心理が働き、”生活の意義はどこにあるのか?”という壮大な命題がその行動の裏に隠されている。

中国の帰省は、”人類大移動の奇跡”と揶揄するひとがいる。延べ31億人が移動し、交通機関はパンクしそうになり、人々は疲れ果てる。毎年繰り返されるこの現象、大変な思いをすることが分かっているのに、なぜ人々はそれでも帰省しようとするのか?

中国古典の「礼記」にこういう記載がある。趙武の新しい邸宅が完成したので、張大夫がわざわざ赴き、”なんと美しい邸宅だ。ここで歌い、ここで泣き、ここで来客や家族と集うことは、なんと素晴らしいことだ!”と祝辞を述べた。それに対して趙武はすぐさま、”願わくば、あなたが言うように、最終的には家族全員が先代が眠る九原で集まれるように、我々が最後まできちんと生きなければなりませんね!”と答えた。

この祝辞と答辞が今日まで言い伝えられたのは、”家族と集う”、”先代が眠る九原に集まる”という言葉が人々の普遍的な心理をうまく表現しているからである。言い換えると、家族団欒、人生を全うするということではないだろうか?

多くの中国人にとって、家はただの場所ではなく、ひとつの価値観である。さらに言えば、ひとつの重要な目標であり、生活の意義である。団欒は単に集まるという意味ではなく、この目標と意義を再認識する意味合いが含まれている。家の価値観は、伝統的な家族社会の中で培われ、いまの時代に更なる意味合いを持つようになった。

伝統的に、家と国は同じであると見なされ来た。家を平穏に治めることは、天下を治めることの前提条件と考えられている。家は公共倫理のために存在するだけでなく、究極な意義を持つ場合さえある。この価値観は人々の基本的な行動原理となっており、伝統社会が崩壊した今日も、この行動原理は依然生き続けている。

いまの中国は、都市における核家族化や晩婚化が進み、都市生活は往々に孤独である。都市で仕事し、いい給料を貰っても、何か幸せが足りないと感じる時がある。農耕時代は既に終わりを告げているが、時には、あの時代の暖かくて心豊かな精神状態を取り戻したい。春節家族団欒の魅力はここにある。

ただ、注目すべきは、家族の価値観が少しずつ変わって来ている。多くの若者は、家族団欒の食卓に幸せを感じる代わりに、ひとり机の前で精神的な満足で幸せを感じるという。親族との歓談が楽しいかも知れないが、意のままに旅をすることもまた楽しい。生活の意義に対する考え方はますます多様化している。

現代の都市生活に適応した倫理や美学が生まれ、成熟しつつある。生活様式が多様化し、生活の意義も十人十色で、家族団欒の意味合いも変質して行くだろう。。家に対する価値観が、新しい時代の時間軸でどう変遷して行くのか、静かに見守るしかない。

■読者の声

Aさん:帰省したいが、電車の切符が入手困難なので、妥協しなければならなくなった。でも、できるなら、やはり帰りたい!

Bさん:子供にとって春節はお年玉をもらうことであり、年寄りにとっては子供や孫たちと一堂に集うことであり、職場で頑張っている人たちにとって、ひと時の休息を取ることである。毎年故郷で春節を過ごすことは、全ての中国人が待ち望む至福の時間である。。

Cさん:帰省は一種の気持ちであり、春節はこの気持ちをより一層強くする。こういう家族との交流があるから、人々が自分の信念や気持ちを持ち続けることができる。帰省しないなら、何をするというのだ!

Dさん:数年前の鉄道料金値上げの際も、春節帰省の需要を軽視していると思う。ダフ屋から高値でチケットを買ってでも帰省したい、こう思うひとは殆どである。いまは春節に海外旅行するひともいるが、あれは極一部の金持ちで、一般庶民とは関係のないことだ。

Eさん:あっちこっちで春節を祝うイベントでムードを盛り上げといて、一方でメディアは春節の帰省時期を分散するよう呼び掛けている。毎年、同じことが繰り返されている。

Fさん:帰省すると、毎日毎日親戚や近所への挨拶回りでキリがない。私は大勢のひとが集まるのがあまり好きではない。

 

ソース:http://news.xinhuanet.com/edu/2012-01/20/c_122609088.htm

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