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中国共産党中央政府の仕組み


2013年8月1日、南方週末

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2013年6月22日〜25日、中国共産党中央政治局が専門会議を招集し、議長を勤める習近平総書記が重要講話を発表する。

※本記事は、「南方週末」が中国人民大学出版社との独占契約により、清華大学国情研究院院長の胡鞍鋼著「中国の指導者集団制度」の一部を抜粋し、中央政治局常務委員会の世代交代の仕組み、常務委員会が日常的に審議する主な議題、及び常務委員会が政策決定を行う手続きなどを紹介するものである。

中国の指導者は、中央の指導者集団のメンバーになるために、最低2つのステップを超えなければならない。最初のステップは省(日本の県に相当)の党書記を勤めること。2つ目のステップは党中央機関の主要な補佐役を経験すること。中央機関で経験を積む主な職位として、中央政治局委員と委員補、中央書記処書記と書記補がある。

中国独自の”指導者集団制度”ができるまで

中国共産党中央政治局常務委員会、この革新的な政治と革新的な制度は全て毛沢東の発案によるものだった。

1956年、中国共産党第8回大会で”中国共産党章程”が承認され、毛沢東は中央指導者集団として、中央政治局常務委員会の増設を提案した。党中央主席、副主席と中央書記処総書記で構成する当該委員会を党中央指導者集団の中心に据えた。

1956年9月28日、中国共産党第8回中央委員会第1次全体会議で、毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳、陳雲、鄧小平が中央政治局常務委員に選らばれ、初代中央指導者集団が結成された。

1959年以降、毛沢東は再び国家主席の座に着くことはなかった。彼は”第1線”と”第2線”を唱え、その本人は”第2線”に退いた。しかし、毛沢東が政権に着く期間が延び、毛沢東個人の威信がどんどん高まる中、集団による政策決定がいつの間にか個人による”最高指令”に変わり、中央政治局常務委員会は毛沢東個人の指示を伝達、実行する”事務局”に退化した。

文化大革命の後、華国鋒と鄧小平は中央指導者集団制度を復活させた。1982年中国共産党第12回全国代表大会(日本の国会に相当)で承認された党章は、党中央に総書記だけを設置し、主席と副主席を廃止した。

第14回中央委員会第1次会議は、党と国家の指導者制度に対して大きな改革を敢行した。まず、正式に中央政治局常務委員会を中心とする”一元集権”の仕組みを確立した。次に、党中央と鄧小平の決定に従い、党総書記、国家主席、軍事委員会の三位一体の指導体制が取り入れた。更に、中央政治局常務委員会で若い後継者を育てる仕組みも用意した。

第14回中央委員会第1次会議から20年間、中国特有の”指導者集団制度”は徐々に成熟し、完成した。その過程は2つの段階に分けることができる。最初の段階は14次、15次中央政治局の7常務委員制、次の段階は16次、17次中央政治局の9常務委員制。

政治局常務委員会の世代交代

中国共産党の新しい中央指導者集団またはその後継者は、西側の国のように落下傘式に国家元首になれるものでもなければ、文化大革命の時の売れっ子王洪文のようにロケット式で上り詰められるわけでもない。それは典型的な”階段式”であり、中央指導者集団のメンバーになるまで、最低2つの重要な政治の階段を超えなければならない。

最初のステップは省の党書記を勤めること。国を治める前に、まず省を治めるという試練と訓練を受けなければならない。2012年末まで、世界で人口1億以上の国は11あり、中国は世界で人口が最も多い国である。もし、人口6000万人以上を大国の定義とすれば、中国では最低8個の省の人口が6000万人近くあるいはそれ以上である。軍備と外交以外、省を治めることは世界的な大国を治めることと同じ。省の党書記に就任することで、長期間に渡り地方行政の経験を積むことができ、このプロセスは、彼らが中央指導者になるために必要な情報、知識、経験と能力を一気に積み上げることができる期間だ。

15次中央政治局常務委員7名のうち、5名は省や直轄市の書記を経験し、その割合は71.4%である。地方行政の経験を持つ指導者の割合は85.7%に達する。16次中央政治局常務委員9名のうち、6名は省や直轄市の書記を勤めたことがあり、その割合は66.7%。地方行政の経験を持つ指導者の割合は77.8%。17次中央政治局常務委員9名のうち、8名は省や直轄市の書記を勤めたことがあり、その割合は88.9%。

2つ目のステップは党の指導者集団メンバーのアシスタントになること。これは”集団世代交代”の過渡期でもある。このステップで主に就く職位は中央政治局委員と委員補、中央書記処書記と書記補。これらは中央政治局常務委員の主なアシスタントたちである。統計データを見れば、最近の中央政治局常務委員が常務委員会に入る前、第2ステップで経験を積む時間が長くなる傾向にある。

このステップでは、例え中央政治局委員が依然省書記の職に留まるにしても、中央指導者集団の政策決定に関する情報を得る機会がうんと増える。これは彼らにとって”実習期間”であり、”準備期間”であり、党を治め、国を治め、政治を司る術を習得する”強化訓練”でもある。同時に、現職の中央政治局常務委員は教官となって、彼らが速く地方の指導者から中央指導者になれるよう指導する。このステップは集団テストの意味合いもある。特に政治思想に関するテスト、それには政治志向、政治的立場、政治的視点、政治に関わる紀律遵守、政治の洞察力と政治の感受性が含まれる。

通常、この2つのステップをクリアした人だけ、正式に中央政治局常務委員会に入り、指導者集団の中心メンバーになることができる。

最後のプロセスは政権交代で、これは主に全国人民代表大会の政治報告を舞台に行われる。例えば、胡錦濤はかつて第16回全国人民代表大会報告の執筆チームのチーム・リーダーを勤めた。中央政治局常務委員会の指導のもと第16回全人大報告の作成を担当し、1年間の期間を経て第16回全人大に報告書を提出し、大会で承認されて、それが16期党・国・軍の政治方針となった。これは実質政権交代のプロセスであり、これによって、党の方針、政治の方針と組織の方針に連続性、継承性、革新性が担保され、指導者が変わっても変わることはない。

常務委員会内の連携と協議

第16回中央委員会第1次会議より、中央政治局9名の常務委員は党と国家の主要機関を代表する構造が確立した。16次、17次中央政治局常務委員会を例に取ると、常務委員9名の連携、協議、協力の関係は下記の2つの側面がある。

常務委員個人間の協力関係は、主に個人的な交流の中で醸成される。

各常務委員が代表する機関間の協議は、各機構の党組織が中央政治局常務委員会に報告書を提出し、そこで政策決定が行われる。例えば、16次、17次中央政治局常務委員会が代表する中枢機関は計8つあり、それぞれ、中国中央委員会、全国人民大会(国会)、国務院(内閣)、中央軍事委員会、全国政治協議会、中央紀律委員会、中央宣伝口、中央政法委員会である。

中央政治局常務委員会では、常務委員は個人として意見を述べるだけでなく、自分が主管する組織の代表としても発言する。一旦、政治局常務委員会が決めたことを、各機関はそれに従わなければならない。各常務委員は所管する機関に決定内容を伝え、業務分掌に従って実行に移す。

毛沢東は一番最初に”調査しなければ、発言権はない”という有名な言葉を発した。1992年鄧小平は84歳の高齢にも関わらず中国南部を視察し、社会主義市場経済理論の原則を唱えた。15次中央政治局7名の常務委員は全国各地を赴いて視察・リサーチした延べ回数は237回、一人当たり平均34回に達する。

視察は突発する重大事件や自然災害への対応でも頻繁に行われる。2003年のSARSを例に取ると、当時、16次中央政治局常務委員9名のうち8名がSARS対策で各地を飛び回り、合計視察回数は19回に上った。

常務委員会での政策決定

中華人民共和国が成立して今に至るまで、中国共産党の政策決定機関は幾つかの段階に分けることができる。

第1段階(1949年〜1957年)は政策決定の制度化段階。この段階は民主集権制度が比較的うまく行った時期である。

第2段階(1958年〜1965年)は政策決定制度が深刻な破壊を受けた段階。この時期、毛沢東は従来な政策決定において個人主義に走り、ほかの指導者の役割が薄くなった。

第3段階(1966年〜1976年)は非制度化の時代で、党と国家が行う政治活動における集団指導者制度や民主集権制度は段々弱められ、破壊される。

第4段階(1977年〜1991年)は民主的政策決定、集団による政策決定を再建する段階。鄧小平はトップによる指導と個人による責任分担を組み合わせた制度を提唱した。

第5段階(1992年〜現在)は集団決定の合理化・民主化と制度の深化の段階。江沢民は”集団でリードし、民主的な集権の元で、各自でじっくり検討し、会議で決定する”という政策決定原則を提案した。

16次、17次中央指導者を例に取ると、集団政策決定の運用状況は次の通り。

国の政策決定体系は”外脳”と”内脳”に分ける。”外脳”は国民の意見。国内外のシンクタンク(主に国内のシンクタンク)と地域の4大組織(省レベルの党、政府、人民大会代表、政治協議会)で構成される。”内脳”は中央政治局常務委員会を中心に国務院、全国人民大会、全国政治協議会の3大組織が含まれる。

その1、党中央業務の制度化と標準化。2002年12月2日、中央中央政治局会議で16次中央政治局業務規則を承認し、中央集権的な政策決定の仕組みが完成に向かいつつあった。2004年2月、”中国共産党党内監督条例(試行)”が公表され、その中で中央政治局が中央委員会全体会議で報告を行うことを定めた。

中央政治局常務委員会は数回民主会議を開催し、中央政治局ほかのメンバーから意見や提案をヒヤリングする。中央政治局は毎年9月に定期会議を開催し、中央政治局の1年間の活動を総括する。

その2、重大問題に関わる集団議論と集団決定を守る。2003年に開かれた全国組織改革会議で、曽慶紅は”党委員会の内部で、書記は班長であり、重大な問題は委員会全体で決定を出すべきだ”と強調した。”集団決定”とは、政策決定の過程において、党の”集団によるリードを堅持し、個人で重大問題の判断をしてはいけない”ということ。

その3、重大政策決定のルールとプロセスを整え、政策失敗の責任追及制度を確立し、問題改善の健全化を図る。2004年9月、第16回全国大会第4次会議で承認された”党の執行能力を強化するための決定”では、重大な政策決定のルールとプロセスを確立し、多様なチャンネルと形で国民の英知を集め、政策が合理的かつ民主的な形で決められるようにすると書かれている。

その4、民主的な他党の政治参加を推進し、重大事項は他党と協議しながら進める。2005年2月、中央政府は”中国共産党指導者の他党との協力や政策協議を強化する建設的に意見について”を公表し、初めて他党との政策協議を明確に政策決定プロセスに入れ、重大問題に関わる政策決定前と政策執行中に政策協議を行うことを原則と定めた。

中国共産党中央と各民主党派が行う政策協議には、全人大中央委員会の重要法案、憲法と重要法律の修正提案、国家指導者の人事、改革開放を推進する重要決定、国民経済と社会発展の中長期計画、国家全体に関わる重大なmん第、重要法案や重要情報の告知と意見徴収、その他協議が必要な重要問題などが含まれる。1990年から2006年末まで、中央委員会、国務院及び関連部門が開催した協議会、座談会、情報報告会は230回以上あり、そのうち党総書記が主催する会議は74回だった。

その5、積極的に専門家の意見を聞き、各分野のシンクタンクを有効活用する。改革開放以降、各分野の専門家やシンクタンクが政策決定の諮問において大きな役割を果たすようになった。経済、社会、歴史、国際政治などの専門家は国の政策決定に専門的な意見を度々寄せるようになった。

ソース:http://news.sohu.com/20130801/n383130821.shtml

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